スキップしてメイン コンテンツに移動

サルヴァトーレ・シャリーノの作品集を聴いた




Salvatore Sciarrino: Orchestral Works

Kairos (2009-01-13)
売り上げランキング: 130966



 イタリアの作曲家、サルヴァトーレ・シャリーノ(1947-)の管弦楽作品集を聴きました。3枚組。こちらは現代音楽専門っぽいKAIROSというレーベルからでているのですが、HMVオンラインで買ったら6000円ぐらいしたのに、アマゾン価格は3200円でした。確認した後、ちょっと涙目になっちゃったよ……。このレーベルのCDは他にも欲しいものがあるんだけど、これからは絶対アマゾンで買います。





 シャリーノの作風でもっとも有名なのは「さまざまな特殊奏法を開発・多用している」という点です。これはちょうど一回り上の世代に位置するドイツのヘルムート・ラッヘンマンと同じような言われ方ですね。特殊な技をたくさん使っている、ということですから彼らはそれぞれ「技のデパート、イタリア支店」、「現代音楽界の舞の海」と呼ばれています(もちろん、嘘です)。この特殊奏法へのこだわり・徹底が2人ともすごい。





 シャリーノの作品は今回のボックスで始めて聴きましたが1枚目の《チェロと管弦楽のための変奏曲》からして、弦楽器のフラジオレットの音、弦楽器の胴を叩く音(たぶん)や、リード楽器の倍音奏法(……で良いのでしょうか? 普通の運指ではおそらく出せない音)、管楽器で息だけ通したタンギングの音ばっかり聴こえてくるような楽曲ですからド肝を抜かれます。20分以上、キコキコキコ……、ジュワ~~、トトトトト……という「音だけ聴いているとどうやって発音しているのかイマイチ掴みづらい特殊な音色」が続く大変エレガントな作品。オーケストラとは、100人規模の演奏家を集めた大変リッチな音楽装置ですから、それを使ってマトモな音を一切鳴らさせない、というのはエレガントとしか言いようがありません。最高です。





 ラッヘンマンもシャリーノと同じタイプのエレガンスを有する作曲家でありますが、ラッヘンマンの作品からはとてもユニークで、ユーモラスな印象を受けるのに対して、シャリーノからはドライでありながら透き通った美しさのようなものも感じます。単にフラジオを多用しているのでキレイな音が並んでいるからなのかもしれませんが、とても響きの美しさ――批評っぽく、少しひねりを加えると“異化された美しさ”が一貫しているように思えます。このボックスには、70年代から00年代の作品が収録されていますが、そういったゆるぎない原理のようなものが感じられます。





 80年代の作品では、ルチアーノ・ベリオばりの引用を試みていて(当ボックス収録作では《アレゴリーの夜》(1985)がそれにあたります。ここではメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が引用されている)、大変聴きやすいです。とはいえ、フラジオ多用はここでも見られる。80年代の作品では、他に《ボロミーニの死》も良いですね。オーケストラは弦楽器の持続音と、ワウ・ミュート付のラッパの反復フレーズ(このフレーズがモリコーネによる『続・夕陽のガンマン』のテーマを想起させる。たぶん関係はないが)が土台を作っていて、合間合間にフルートの特殊奏法が入ってくる。基本的には静寂な作品なのですが、その背景によって語り手の不気味さ、冷たい声が際立つかのようです。





 ちなみにシャリーノは2011年の武満徹作曲賞の審査員に決定しているとのこと。この賞では、審査員にちなんだレクチャー・コンサートも開催されるので、2011年はシャリーノの作品を日本で聴ける日が来るのでしょう。このボックス・セットを聴いて、早くも来年が楽しみになりました。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...