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マルティヌーの交響曲全集を聴いた




マルティヌー:交響曲全集(3枚組)

Brilliant Classics (2008-06-24)
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 所属しているオーケストラの次回演奏会の曲目に、マルティヌーの交響曲第1番が選ばれていたため、良い機会だと思い、クラシックの廉価盤レーベル、ブリリアント・クラシックスから出ていた交響曲全集を買いました。コアなクラシック・ファンでなければ名前すら聞いたことがない、と思いますけれど、ボフスラフ・マルティヌーはチェコ出身の作曲家。活躍したのは20世紀――いわずもがな調性音楽の否定が前衛としてトレンドになった時代です――が、ロマン派的な形式に準拠した様式美と、美しい旋律を書き続けていた人です……ということを今回彼の交響曲に触れて知りました(名前ぐらいは聞いたことがあったけれども、聴くのは今回が初めてでした)。交響曲は第6番までありますがどれも魅力的です。



D


 (映像は、交響曲第1番の第4楽章)R・シュトラウスのように大掛かりが仕掛けがあるわけでもなく、マーラーのように耽美的なわけでもない。四文字熟語で表現するならば「質実剛健」と言った趣のある彼の作風は、独特な渋みを持っているように思います。それはシベリウスにも感じられるものですし、アラン・ペッテション(スウェーデンの作曲家)にもどこか通ずるものがある。もっともマルティヌーの作品に、シベリウスほどの読み難さ、ペッテションほどの絶望的な暗さがあるわけでもないのです。しかし、彼らが抱えていたの渋さには「20世紀のシンフォニスト」にとっての“宿命”のようなものを感じてしまいます。すでに無調があり、一二音技法がある20世紀に、19世紀までの遺産とも言える「交響曲」という形式で音楽を書く、という行為には「それが伝統に準拠したものであったとしても、単なる過去の継承であってはならない」という使命が与えられていたように思います。作曲家によって事情はことなったでしょうが、彼らの作品が有する渋さはそういった使命によって理由付けられているような気がしてなりません。





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