大友良英サウンドトラック Vol.0posted with amazlet at 10.08.07大友良英 阿部芙蓉美
F.M.N.SoundFactory (2010-06-12)
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昨日書いた大友良英の新譜に関する記事が、本人のブログで紹介されていたので冷や汗をかいた。
わたしの記憶に間違いなければ、かつてわたしと音遊びの会の共演盤のことと、ユリイカ大友特集についてどの評論家も指摘してないようなことを明確かつ的確に書いてくれた方ではないだろうか。いったい何者なんだろう。単なるブロガーには思えない。
というのは「ひたむきさとピュアネス - 「石版!」」、「演るを考える - 「石版!」」の記事でしょうかね。3年以上も前の記事を覚えておいてくださって光栄の極みでございます。私、大友さんとは卒業した高校が同じでして「同じ高校出身の尊敬するミュージシャン」として大友良英の名前が心に刻まれておりますので(遠藤ミチロウとともに)、とても嬉しかったです。単なるブロガーどころか、単なる会社員にすぎませんが、ブログを書いていて良かったな、と思いました。誕生日おめでとうございます!
で、先日出ていた『大友良英サウンドトラックス vol.0』についても感想を書きそびれていたのを思い出したのだった。不勉強なもので、このCDに収録されている映画・ドラマについてはどれも未見なのだけれど、これもスゴかった。先日なんのきっかけもなしに「自分は音楽を聴くとき、メロディやハーモニーを聴いているのではなく、それらの要素をすべてひっくるめて全体的なテクスチュア……というか、なんか『あの音楽のあの感じ』という固有性みたいなものを聴いているのではないか」「音楽を聴きたい、と思うとき、あの曲が聴きたい、というわけではなく『あんな/こんな感じ』の音楽が聴きたい、と考えて音楽を選択しているのではないか」と考えることがあったのだが、こうした思考のカケラみたいなものを言葉にまとめる媒介になってくれそうな一枚。
2曲目に収録されていた「歩く」という曲が特に印象に残る。この曲には歌えるようなメロディは存在せず、シンプルなギターのコード演奏が反復されていく。まるでメロディがまだ作曲されていない曲の伴奏のような曲に聴こえるのだが、それは劇中の挿入曲であるという性質からかもしれない。言ってみれば映像に対する伴奏なのか。そういうことならば、この曲がどういった映像に付随していたのかを確認していない私にとっては、まるで未完成の音楽に聞こえても当然だろう。だが、それは不幸なことではない。その映像(という主旋律)の不在は、「あの音楽のあの感じ」という感覚をより一層研ぎ澄まされた形で感じさせてくれるのだ。当然、ここにも「大友良英のあの感じ」が強烈に存在している。
余計なこと書きましたが、うれしかったのでついつい。
返信削除音遊びの会やユリイカは、そうです、確かにこのブログでした。
そうか石版さんは以前mixiでやりとりした高校の後輩さんですね。かすかにおぼえております。そのうちお会いできるの楽しみにしてます。
コメントありがとうございます! mixiでのやりとりも覚えていただけておりましたか。ますます恐縮です。私もお会いできる日を楽しみにしております~。
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