先日、学習院女子大で開かれたJARS(Japanese Association for Renaissance Studies ジャースと読むらしい)主催の研究会「ボッティチェッリからスピノザまで」に参加した。懇親会を含めて賑やかな会で、大変楽しい時間を過ごさせていただいたのだが、なかでもとくに村瀬天出夫さんの 「ルネサンス期ドイツにおける終末論とパラケルスス主義」という発表は、個人的に惹かれるものが多々あった。15世紀末からさまざまな終末を語る予言書が出版され、それらが広く読まれていた、という史実にもとより興味があり、その関連でメランヒトンの終末論なども気になっていたのだが、村瀬さんの発表で、ルター派の終末論とパラケルスス主義者の終末論の比較がおこなわれていたのが印象に残った。
パラケルススに関しては、昨年末出版された『パラケルススと魔術的ルネサンス』に詳しいが、15世紀末に生まれ、不遇の人生を送りながらヨーロッパを遍歴した極めて変人的な医師・錬金術師、と乱暴に紹介しておこう。村瀬さんの概算によれば、現代のハードカバーにして30巻ほどになるという膨大な量の原稿を書き残したが、そのほとんどが生前出版されなかったことからも彼の不遇っぷりが垣間見える。そうした原稿は現在「パラケルスス文書」と呼ばれ、彼の死後20年ほど経った頃に、ドイツの医師たちがパラケルスス医学を広めるために、これらを出版していこう! という動きを起こしたことで脚光を浴びることとなる。
ときは16世紀。ヨーロッパのあちこちで宗教戦争が起こりまくっており、末法(マッポー)めいたヴァイブスが充満しているなかである。同時期にルター派が「ローマにいるアイツらは偽学者だ! 終末は近い!!」、「ルターは預言者エリヤの再臨だった! 終末は近い!!」とか言っているのに似て、パラケルスス主義者たちは「アリストテレスとかガレノスとか異教的な学問をやっているのは堕落だ!」とメインストリームの医学を攻撃し、その終末論的言説もかなり共有されていた。わたしが面白いと思ったのは、この似たようなふたつの運動の共有部分ではなく、相違点である。この相違点が、パラケルスス主義者たちの奇妙さを際立たせているように思う。
まず、パラケルスス主義者たちは直接にパラケルススを知らなかったことが面白い。ルター派はルターの生前から彼本人を中心とした教団的活動がおこなわれていたはずで、よりどころになるカリスマの死後もその影響力が継続している。しかし、パラケルスス主義者は中心にいるべきカリスマが最初から不在でありながら、その不在のカリスマを信奉しているのである。この不在の者を信奉している感じは、隠れイマームを信仰している熱狂的な方々にも通ずるものがあるように思われ、なにより、カルトっぽさがある。
本人不在のカルト集団(ものすごく乱暴な表現だが)という性格上、パラケルスス文書の研究にもその問題が影を落としている、という。なにしろ、本人の死後に出版活動がおこなわれているので、偽文書が作り放題である(ルター派であれば、偽文書が作られてもすぐに『アレは偽文書だ!』というチェックが働き、後世に残らない)。しかも、めんどうくさいことに「たぶん偽文書だが、パラケルスス本人の思想が入っていないわけではない」みたいな微妙な文書もたくさんある。テクストの真正性に関する研究はまだまだこれからだそうで、いまようやく文書の収集に目処がつきそうな感じであるらしい。
なお、パラケルスス自身による手稿は一切現存していない。そもそも遍歴の人生を歩んできた人が膨大な手稿を持ち運んで移動できるはずがなく、その原稿は散逸してたり、死蔵されていた。パラケルスス主義者の運動は、そういう原稿を発掘する運動でもある。では、パラケルススに直接あったこともなかった人たちが、なぜ、そんな大変そうな仕事に取り組むことになったのか。これが第2の面白ポイントである。しかも、パラケルスス自身は生涯に一度も改宗しなかったカトリック信徒であるのに、パラケルスス主義者はプロテスタントだったというではないか。
この点に関しては、当日会場からも質問がでていた。不遇であったはずのパラケルススがどうしてそのようなムーヴメントを生めたのか、と。村瀬さん曰く「パラケルスス医学は、完全に無視されていたわけではなく、当時も知っている人は知っている存在であったハズ。そこで従来の医療方法では改善しなかった病気に対して、パラケルスス医学を試してみたら、症状が劇的に改善! これはスゴい!! 的なことがあったのでは?」ということであった。この転向への契機もまたカルトっぽさがあるのだが、当時としてもパラケルススがアウトサイダー・アート的な受容をされたのではないか、とも思われる。なんにせよ、パラケルススというトピックの面白さに改めて気づかされる発表だった。
関連リンク
Max Niemeyer Verlag
Max Niemeyer Verlag
パラケルスス文書全集へのリンク。もうすぐ第3巻がでるそう(全4巻)。
パラケルススに関しては、昨年末出版された『パラケルススと魔術的ルネサンス』に詳しいが、15世紀末に生まれ、不遇の人生を送りながらヨーロッパを遍歴した極めて変人的な医師・錬金術師、と乱暴に紹介しておこう。村瀬さんの概算によれば、現代のハードカバーにして30巻ほどになるという膨大な量の原稿を書き残したが、そのほとんどが生前出版されなかったことからも彼の不遇っぷりが垣間見える。そうした原稿は現在「パラケルスス文書」と呼ばれ、彼の死後20年ほど経った頃に、ドイツの医師たちがパラケルスス医学を広めるために、これらを出版していこう! という動きを起こしたことで脚光を浴びることとなる。
ときは16世紀。ヨーロッパのあちこちで宗教戦争が起こりまくっており、末法(マッポー)めいたヴァイブスが充満しているなかである。同時期にルター派が「ローマにいるアイツらは偽学者だ! 終末は近い!!」、「ルターは預言者エリヤの再臨だった! 終末は近い!!」とか言っているのに似て、パラケルスス主義者たちは「アリストテレスとかガレノスとか異教的な学問をやっているのは堕落だ!」とメインストリームの医学を攻撃し、その終末論的言説もかなり共有されていた。わたしが面白いと思ったのは、この似たようなふたつの運動の共有部分ではなく、相違点である。この相違点が、パラケルスス主義者たちの奇妙さを際立たせているように思う。
まず、パラケルスス主義者たちは直接にパラケルススを知らなかったことが面白い。ルター派はルターの生前から彼本人を中心とした教団的活動がおこなわれていたはずで、よりどころになるカリスマの死後もその影響力が継続している。しかし、パラケルスス主義者は中心にいるべきカリスマが最初から不在でありながら、その不在のカリスマを信奉しているのである。この不在の者を信奉している感じは、隠れイマームを信仰している熱狂的な方々にも通ずるものがあるように思われ、なにより、カルトっぽさがある。
本人不在のカルト集団(ものすごく乱暴な表現だが)という性格上、パラケルスス文書の研究にもその問題が影を落としている、という。なにしろ、本人の死後に出版活動がおこなわれているので、偽文書が作り放題である(ルター派であれば、偽文書が作られてもすぐに『アレは偽文書だ!』というチェックが働き、後世に残らない)。しかも、めんどうくさいことに「たぶん偽文書だが、パラケルスス本人の思想が入っていないわけではない」みたいな微妙な文書もたくさんある。テクストの真正性に関する研究はまだまだこれからだそうで、いまようやく文書の収集に目処がつきそうな感じであるらしい。
なお、パラケルスス自身による手稿は一切現存していない。そもそも遍歴の人生を歩んできた人が膨大な手稿を持ち運んで移動できるはずがなく、その原稿は散逸してたり、死蔵されていた。パラケルスス主義者の運動は、そういう原稿を発掘する運動でもある。では、パラケルススに直接あったこともなかった人たちが、なぜ、そんな大変そうな仕事に取り組むことになったのか。これが第2の面白ポイントである。しかも、パラケルスス自身は生涯に一度も改宗しなかったカトリック信徒であるのに、パラケルスス主義者はプロテスタントだったというではないか。
この点に関しては、当日会場からも質問がでていた。不遇であったはずのパラケルススがどうしてそのようなムーヴメントを生めたのか、と。村瀬さん曰く「パラケルスス医学は、完全に無視されていたわけではなく、当時も知っている人は知っている存在であったハズ。そこで従来の医療方法では改善しなかった病気に対して、パラケルスス医学を試してみたら、症状が劇的に改善! これはスゴい!! 的なことがあったのでは?」ということであった。この転向への契機もまたカルトっぽさがあるのだが、当時としてもパラケルススがアウトサイダー・アート的な受容をされたのではないか、とも思われる。なんにせよ、パラケルススというトピックの面白さに改めて気づかされる発表だった。
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