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姜尚中・宮台真司『挑発する知――愛国とナショナリズムを問う』




挑発する知―愛国とナショナリズムを問う (ちくま文庫 み 18-4)
姜 尚中 宮台 真司
筑摩書房 (2007/11)
売り上げランキング: 54562


 2003年に双風社から刊行された『挑発する知――国家、思想、そして知識を考える』の文庫化。文庫化に当たって新たに「日本・アメリカ・アジアを問う」という章が付け加えられている。双風社からは、宮台真司の対談本がほかにも出ている。北田暁大との『限界の思考』*1は、ここ数年で出版された社会学・思想系の本の中でもっとも刺激的かつ教育的な内容だったが、姜尚中とのこれもとても面白かった。


 政治的な話題が多いのに私のような政治的なものに対してのセンスがまるで欠落している人間でも上手く読めるように作られているのが親切、というかこれは政治的なものに対して鈍感な人の「政感帯」(俺造語)を開発するように書かれているのだと思う。この本を読んで「格差社会ってやべーんじゃねーの!?」って初めて思ったもん。「格差」ってすごく騒がれていながら、別に自分が格差の下のほうにいたわけではなかったんで、現実感なかったし、っつーか「別に他人がどうなってもかまわねーよ。俺関係ないし」と思ってたんだけど、それがすっげぇ関係ある、格差ヤバい!って思った。馬鹿みたいだけど。


 で、何がヤバいか、っていう話。これはこの対談本のなかで触れられている「メディアとメディアの受け手の問題」から考えるとかなりヤバい感が出る、と思う。話を単純にするために、収入の格差とメディアリテラシーの格差に相関関係があるもの、としておく。そこでメディアをコントロールしてるのは誰か。それはもちろん、格差社会の上階層にいる人たちである。そういう人たちが誰のために活動するのか。彼らは上階層にいる人たちの間で、彼らの冨を独占し、楽しむのではない。逆に下層の方にいる人が喜ぶようなものを提供するのである。メディアを通じて。


 下層の人たちはとにかくアホなので、そういう風にスピリチュアルだの、毒入り餃子だの、インパクトがあるものにワッと飛びつく。アホはコントロールしやすいのでメディアの方には「あ、インチキ臭いオッサンに『前世が……』とか言わせておけば、視聴率が取れるんだな」という感じで、方程式ができあがる。そうなったらもう話は単純で、金持ってるメディアをコントロールする人はアホを狙い撃ちにし続けるだけである。そうすると簡単に視聴率がとれて、金持ってる人のところにはよりお金が集まる。アホ情報にドップリ漬けられたままのアホの人たちはいつまで経ってもアホのままなので、メディアリテラシーは身につかないし、格差はどんどん広がっていく。


 さらにヤバいのは、アホの人が好きな情報ばっかりがメディアに流れて、必要な情報が全然流れなくなっちゃう、っつーのがヤバい。「毒入り餃子!ヤバい!中国人最低!!アイツらはホントにヤッちまったほうが良い!!」みたいな情報は数字が取れるから流れる。他の情報は全然流れない。やはり、この部分である、自分の個人的な問題として考えられるのは。例えば「中国人はいかに嫌な人たちか」みたいな情報は延々と流れてるけど、「アフリカゾウはいかにカッコ良い動物か」みたいな情報は全然流れなくなる。それは困る。でも、これはかなり現実化されてるメディアの問題だと思う(原因は、いつの間にかメディア・システムの目的が真実性の追究という公共性のあるものから、経済性の追求という個人性が強いものにすり変わってしまったからだ)。


 アホが狙い撃ちにされて搾取されまくってる格差社会でもっともやばいのは、これが典型的なファシズムの温床に思えてならないことなんだけど。次の総理大臣が決まるときあたりヤバいと思いますよ。今、麻生太郎って人がテレビに出て「日本って素晴らしい国だと思うけどね!」、「アニメやマンガは日本の誇るべき文化だ!」とか言って人気を集めてるけど「おし、次はこういう分かりやすいキャラを応援していこう!」つって「麻生太郎はいい人」って情報ばっかり流されちゃうと、大変なことになりますよ。


 ものすごい極端な話、ヤバい法律決まりそうなのに、政治のニュースでは「麻生太郎の今日の一言」しか伝えられなくて、知らない間に自衛隊が日本軍になったりするかもしれない。その前に大江健三郎がなんか言ったりするだろうけど、それは伝えられない(数字がとれないから)。そんで「徴兵制復活したけど、麻生さんだから良いかー。言ってること分かりやすいし」とかになる。そのとき「アドルノはかつて……」とか言ってももう遅い。たぶん「これはファシズムだ!」と指摘しても、誰も取り上げてくれない。そういうところもヤバい。


 本書では、そのヤバさのリスクにどう立ち向かうのかについても検討されている。というわけで、私と同様に政治オンチな方々にも一読をオススメしたい本でありました。あと姜先生はカッコ良い(理想のメガネだよ)。




*1:当ブログではこちらこちらこちらで取り上げた





コメント

  1. 今度読んでみますね。

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  2. 結局お二人の話、中国の毒入りギョーザのことなんて攻めちゃだめじゃ~ん、麻生さんにシンパシー感じちたりしちゃいけないよ・・という逆洗脳をしっかりしているじゃないと感じましたが・・こういう話をされているのですね。

    返信削除
  3. 教育/啓蒙に洗脳的要素が含まれていることは確かですが「これもひとつの啓蒙(教育・洗脳)なんですよ」という明言がなされていることによって、公平性を確保しているのでは、などと思います。

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