12世紀のコルドバに生まれたイスラームの学者であり、中世哲学にも多大な影響を与えたアヴェロスについて記述する書き手の多くは、まず「アブルワリード・ムハンマッド・イブン=アハマッド・イブン・ルシュド」という彼のとても長い名前について触れる。アルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスのアヴェロエスを主人公に据えた短編「アヴェロエスの探求」の書き出しも同様だ。ボルヘスの作品を愛好している読者は多い。しかし、短編集『エル・アレフ』に収録されたこの作品ほど、一読して、なにが書かれた作品なのかが掴みにくいものもないだろう。
実在するかどうかも判然としないアラビア語の名前をもつ人物たちの問答や、アヴェロエスが参照した過去の学者の名前、あるいは、書き手のボルヘスが表現として書き加える思想家の名前……さまざまな固有名が飛び交い、ともすれば、単に衒学的な作品として読まれてしまう。アヴェロエスの長大な名前すらも、人を惑わすギミックのように読まれてしまう。
しかし、本作はただ単に衒学的なだけの短編ではない。言語の儚さや淡さが、あるいは言語がリアルの世界に到達するまでの無限の距離(つまり到達できなさ)が表現された、とてもボルヘスらしい作品なのだ。以下では、作品を要約しながら、そこになにが書かれているかを詳しく見ていくことにしたい。
なお、テキストは集英社の篠田一至訳を用いる(白水社の土岐訳はあまり良くないためお勧めしない。今なら平凡社の木村訳(最新版)が手に入る。わたしはまだ読んでいないけれども)。原文に関しては、著作権的にはNGだろうがこちらのサイトを参照した。また、英訳のテキストも公開されている。
執筆に集中するアヴェロエスのもとに、突然想起された哲学的問題によって、執筆が止まってしまう。問題を解決しようとさまざまな著作にあたるも、手に取った本が送られてきた港の名前から、その晩の予定を連想して思い出す。記憶は思い通りにはコントロールできない。それは、ごくありふれた記憶の振る舞いであり、プルーストの小説の冒頭のようでもある。
本当に当時のイスラーム文化圏でこれほど「演劇」が理解されなかったのか。調べてみると「宗教から初期演劇へ: 中国演劇を中心に」というページが見つかった。ここではイスラーム圏における演劇的なものとしてトルコの「カラギョズ」とイランの「タアズィーエ」が挙げられているが、前者のはじまりが16世紀、もともと宗教儀式だった後者が演劇性を高め、最初の脚本が書かれたのが18世紀だとするならば、12世紀のアヴェロエスたちが旅行家の話を理解できなかったもの自然である。そうした文化的背景を理解しながら物語を組み立てているボルヘスの知識もすごい。
なお、イスラーム圏の文学は、詩が第一であり、それは次の部分で大いに語られることとなる。
「つまり、言語は変化します。ラテン人たちはこの事実をよく心得ていましたが、読者もまた変化するのであって、このことは、ギリシア人たちの古い隠喩を思い出させます。いかなる人間も同じ河に入ることはできない」(第1回講義「詩という謎」より)。
「劇場とは何かということをたえて憶測したこともないのに、演劇というものを想像しようとしたアヴェロエス」の滑稽さと、「いくつかの断片以外には材料もないのに、アヴェロエスを想像しようとした」ボルヘス自身の不合理さは同じレヴェルだとして。 この気づきが訪れた途端、書き手であるボルヘスのもとから、登場人物であるアヴェロエスは消失してしまう。これはアヴェロエスのイメージにボルヘス自身が到達できなかったという告白でもあるだろう。
実在するかどうかも判然としないアラビア語の名前をもつ人物たちの問答や、アヴェロエスが参照した過去の学者の名前、あるいは、書き手のボルヘスが表現として書き加える思想家の名前……さまざまな固有名が飛び交い、ともすれば、単に衒学的な作品として読まれてしまう。アヴェロエスの長大な名前すらも、人を惑わすギミックのように読まれてしまう。
しかし、本作はただ単に衒学的なだけの短編ではない。言語の儚さや淡さが、あるいは言語がリアルの世界に到達するまでの無限の距離(つまり到達できなさ)が表現された、とてもボルヘスらしい作品なのだ。以下では、作品を要約しながら、そこになにが書かれているかを詳しく見ていくことにしたい。
1.
(要約)シエスタの静寂の最中、アヴェロエスが住む部屋には、鳩の鳴き声や噴水の音だけが届いている。普通の人間は眠りこけているはずだが、彼はガザーリーの『哲学者の矛盾』に対する反駁である『矛盾の矛盾』を書くのに没頭している。そこに突然、執筆を中断させる気がかりな思いが脳裏をよぎる。彼のライフワークは、アリストテレスの注解だ。想起された気がかりとは、そのライフワークに関するものだった。アヴェロエスは『詩学』のなかで頻出する「悲劇」と「喜劇」という言葉の意味を知らなかった。彼は手がけていた仕事を中断し、書棚のなかから謎の言葉を理解するためのヒントを探そうとしはじめる。しかし、その作業で得られたのは、ヒントなどではなく、その晩に招かれていた食事会の予定を思い出しただけだった。篠田訳ではガザーリーの Tahāhut al-falāsifa を『賢人の破壊』と訳しているが、この著作は『哲学者の矛盾』が定訳(原文を参照するとボルヘス自身が Destrucción de filósofos という訳を与えているのをそのまま訳している)。アヴェロエスが執筆していた Tahāhut al-tahāhut も『矛盾の矛盾』と呼ばれている(こちらには邦訳あり。『中世思想原典集成〈11〉イスラーム哲学』)。アヴェロエスが理解できなかった言葉についてボルヘスは「イスラム圏では誰一人、それらの意味するところを予想し得なかった」と書いている。9世紀のバグダードでは、古代ギリシアの文献がアラビア語へと盛んに翻訳されていた。このとき翻訳されていたのは、おもに哲学・数学・医学に関する書物で、文学はほとんど翻訳されていない。そうした事情をみると、「イスラム圏では誰一人……」というボルヘスの記述は正しいように思われる。アヴェロエスは窓の外から子供達が演劇遊びをしているのを見る。しかしそれは「演劇」だとさえ思われない。
執筆に集中するアヴェロエスのもとに、突然想起された哲学的問題によって、執筆が止まってしまう。問題を解決しようとさまざまな著作にあたるも、手に取った本が送られてきた港の名前から、その晩の予定を連想して思い出す。記憶は思い通りにはコントロールできない。それは、ごくありふれた記憶の振る舞いであり、プルーストの小説の冒頭のようでもある。
2.
(要約)コーラン学者の家で開かれた晩餐の主人公は、コルドバに戻ってきたばかりの旅行家だ。ひょんなことから話題は神学に及ぶ。コーランと文字に関する神学的な議論がおこなわれる。アヴェロエスが「文字は人工のものです」と口にしたとき、彼は、コーランが神による世界の創造の前から存在しているので「人工だというのはまちがっている」と批判される。コーランは通常の被造物ではなく、永遠のものである、という考えは、イスラーム神学における正統的な考え方だ(コーランが神による創造物であるとしたムゥタズィラ派は、バグダードでの翻訳運動を庇護したマアムーンによって正統とされたことがあるが、かえってそれはムゥタズィラ派の弱体化を招いた、と井筒俊彦は記述している)。アヴェロエスが受けた批判にはこうした背景がある。
たしかに、「文字が人工だ」というアヴェロエスの語りは、ムゥタズィラ派的なコーラン創造説を想起させるが、おそらくボルヘスが語るアヴェロエスは「コーランの原典」と「物質的なコーラン」を切り分けて考えているように思われる。コーランの原典は「プラトン的原型(イデア)」に似たようなものであり、それは神の属性のひとつで、永遠で改変不能の存在である。しかし、物質的なコーランはその原型から作られているものの、人工の文字によって記されている。神による言語、神による文字、そのものではない。という切り分けである。
しかし、アヴェロエス自身はこうした神学的議論には口を突っ込まなかった(なぜなら、晩餐の主人公は、神学とはまったく無縁に生きてきた人だから)。なお、この部分で「緑色の鳥の実がなる木」という驚異について語られる。以下に掲載したのは13世紀前半の動物寓話の挿絵。おそらくはボルヘスも、アイルランドのガンは、自然によって生まれる、というこのイメージが用いていると思われる。
3.
(要約)晩餐の参加者は、旅行家に驚異について話してくれるよう求める。旅行家は遠く離れた都市で見た不思議な人々の振る舞いについて話そうとするが、まったく理解されない。旅行家は驚異を語ってくれ、というリクエストにしぶしぶ応えている。「彼らが聞きたいのは驚異の物語だが、驚異はおそらく伝達不能のものである」から。このあたりも実にボルヘスらしいのだが、重要なのは理解されない旅行家の語りである。旅行家は、シン・カラン(カントン = 現在の広州市)で見たものは、中国の演劇だったのだ。アヴェロエスはここでも「詩学」につながるヒントを見逃している。旅行家は懸命に、演劇というものがどういうものかを聴衆に伝えようとしているが、彼の試みは失敗に終わる(彼自身が演劇自体を理解していたかもあやしい)。
本当に当時のイスラーム文化圏でこれほど「演劇」が理解されなかったのか。調べてみると「宗教から初期演劇へ: 中国演劇を中心に」というページが見つかった。ここではイスラーム圏における演劇的なものとしてトルコの「カラギョズ」とイランの「タアズィーエ」が挙げられているが、前者のはじまりが16世紀、もともと宗教儀式だった後者が演劇性を高め、最初の脚本が書かれたのが18世紀だとするならば、12世紀のアヴェロエスたちが旅行家の話を理解できなかったもの自然である。そうした文化的背景を理解しながら物語を組み立てているボルヘスの知識もすごい。
なお、イスラーム圏の文学は、詩が第一であり、それは次の部分で大いに語られることとなる。
4.
(要約)演劇に関する語りを理解できなかった一同は、アラビアの詩について議論しはじめる。ひとりの詩人は雄弁にダマスカスやコルドバの詩人が時代遅れであり、無道時代の大詩人ズハイールの比喩もすっかり色あせてしまたと論ずる。アヴェロエスはこれに反論する。アヴェロエスが晩餐のなかでももっとも長口上を述べるのがこの部分である。これはアヴェロエスの口を借りたボルヘスの詩論でもあるだろう。まず、反論のひとつとしては詩の価値が、人々を驚かせるような比喩の発明ではないこと(もし驚嘆で詩の価値が図られるのであれば、それは驚嘆が過ぎてしまった瞬間に価値は色あせてしまう)。そして二つ目の反論では、時の経過によって詩の意味が失われるのではなく、詩の領域が広がることが語られる。この時間によるイメージの変化については、ボルヘスの講義録『詩という仕事について』でも大いに語られたことだ。
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5.
(要約)晩餐を終えて帰宅したアヴェロエスは不明だった「悲劇」と「喜劇」という言葉の意味をつかみはじめていると感じている。草稿にふたつの言葉に関する注釈を書き付けた彼は、床につこうとして、ターバンを外し、鏡を見る。その瞬間、突然存在が霧散してしまう。語りはここで、ボルヘスによる解題的なものへと移る。この短編の結末部分は、おどろくほどあっけない。冒頭から演劇に関するヒントに触れながらも、それを見落としてしまったアヴェロエスが書き付けた注釈は、やはり「悲劇」と「喜劇」が演劇であることに気付けておらず、詩の類のことだと想像している。そしてアヴェロエスの存在は消え去ってしまう。これは、ほとんど物語を放棄するかのようでもある。この放棄は、ボルヘスは反省から発生する。
「劇場とは何かということをたえて憶測したこともないのに、演劇というものを想像しようとしたアヴェロエス」の滑稽さと、「いくつかの断片以外には材料もないのに、アヴェロエスを想像しようとした」ボルヘス自身の不合理さは同じレヴェルだとして。 この気づきが訪れた途端、書き手であるボルヘスのもとから、登場人物であるアヴェロエスは消失してしまう。これはアヴェロエスのイメージにボルヘス自身が到達できなかったという告白でもあるだろう。
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