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誰だよ、これちくま文庫に入れたの






 極真会館の設立者、大山倍達の自叙伝的カラテ論。大槻ケンヂのエッセイで内容については知っていたのだが、大変面白かった(解説も大槻ケンヂが書いている)。牛殺しの模様なども詳細に記述されており(場所、屠殺場だったそうな)、今では考えられない対動物モラルに驚く。動物保護に熱心な国なら如何にマス大山であっても実刑は免れないであろう…。





 ちなみにマス大山が言う「牛と戦って勝てる男の条件」は…




  1. 100メートルを10秒台で走れる(無理)

  2. 体重75kg以上(10kg以上足りない)

  3. 腕立て1000回、天井のサンを掴んで移動する握力(無理)

  4. 手刀で瓦を25~30枚割れる(腕が折れる)


…だそうな。壮絶です。あと気をつけなくちゃいけないのは「牛選び」だそうですよ!年取ってて、デカイ牛の方が殺し易いんだってさ。殺せると分かってる相手を痛めつけて殺すなんて…虐殺じゃないっすか……大山先生…。





 この本の面白さについては大槻ケンヂが解説で語ってくれているから良いとして、若かりし頃の大山日が本刀で襲われた話を個人的に最も好きな箇所として挙げておく。そこで大山は振り回される白刃からなんとか逃げようとするんだけど、追い詰められ「死ぬ!」そう思った瞬間に真剣白刃取りを成功させちゃう…っていう。その奇跡のような瞬間に刀振り回してるほうも、白刃取りしちゃったほうも驚いて顔を見合わせ「驚きが私たちの意識を奪っていた」と述懐しているところが良い。すごく男と男のマッチョイズムがあって、カッコ良い。中島敦の『名人伝』にもこんなシーンあったよね…。





 似たような本で『アントニオ猪木自伝』もかなりブッ飛んでいて面白いんだけど、どうして格闘家の本ってこうも面白いのかね。極度にバカが突っ走ってるノリは猪木も大山倍達も似ていて、実は同じゴーストライターが書いているんじゃなかろーか、なんて思ってしまった。あと読んでいて高校時代隣の席だった人のお父さんが、極真カラテの師範(世界選手権第2位)だったことを思い出す。元気かな、Sくん。





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