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五臓六腑をぶちまける




マリ&フィフィの虐殺ソングブック
中原昌也
河出書房新社 (2000/10)
売り上げランキング: 22,266



 遅れてきた渋谷系(嘘)としてオザケン、コーネリアスなどを聴いていた頃、デス渋谷系であるところの暴力温泉芸者を聴いてはいたのだが、小説のほうは興味もありつつ手を出していなかった中原昌也。芥川賞の候補になったので、id:fattybambiさんにオススメを聞いて読んでみた。





 電車のなかでゲラゲラ笑いながら読んでいたので怪しまれたかもしれない。本を読んでいても、音楽を聴いていても最近は「(作者が)批評を受ける意識をしているのが透けて見えるような作品」に触れるたびに「嫌になっちゃうなぁ、もう」とか思ってしまい、鬱になり、そしてイノセントな作品を求めては岩波文庫とかワールドミュージックのコーナーに足を運んでいる。結論として、現代においてイノセントなものを創作しようものなら、先天的な知的障害であるしかないんじゃないか(大江光みたいに)、などと酷いことを考えている次第。あるいは作品の受け手を脱臼させるしかないんじゃなかろーか。脱臼させることに関しては中原昌也という人は超一流である、と思った。





 不可解で、なんだかわかんねー、けどすげー笑っちゃう感じ。上手く言葉にできないんだけど、「今まで読んだことない…な(まぁ私が読んだ本の数なんて高が知れてますが)」という得体の知れない感覚がとても良かった。わかんないものに触れるのって最近はあんまりなくなっちゃったし。何読んでも、何聴いても「○○みたいな感じ」って感じるのは、ちょっと不幸なことかもしれませんね。語りたい欲求とは衝突するんだけれど。





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