武田泰淳夫人であった武田百合子の『富士日記』。長いので少しずつ読んでいる。普段、本が何巻にも分かれている本は一遍に買ってしまうのだけれど、これは一気読みとかだと勿体無いぐらい良い文章。別に凝った表現があるわけじゃないのだけれど、すっと浸透していく自然さがあり、とても良い。これぐらい自由にものごとを捉えることができたら、生きるのが随分楽しいだろうな、と思う。武田百合子は普通の人が一しか感じられないものを、十汲み取ることができる、そんな感性の持ち主だったんじゃなかろーか。
武田百合子が泰淳からこどもみたいにして頻繁に怒られているのも可愛いのだが、やはり泰淳も可愛い。車でどこかに出かける奥さんのことをニコニコしながら手を振って見送ったりする。風貌は年老いた牧羊犬みたいだし、書くものはグロテスクすれすれの異形の文学なのに、奥さんといると何とも可愛らしい。むしろ、すごいもの書いてるからこそ、そのギャップが可愛いのかもしれない。「ハッ!?武田泰淳……ツンデレか…?」と思ってしまった。何度キュン死寸前に追い込まれたことか。
それから武田家をとりまく人たちの描写も良い。武田家で住んでいる山荘の近くには大岡昇平も山荘を持っていてよく登場する。『富士』にそのエピソードが挿入されているけれど、武田家で飼っていた犬のポコが不幸な事故で死んじゃって慰めに来るところなど良い。慰め方もおかしくて。大岡が今まで飼っていた犬の死ぬ様子などをずーっと話す…っていう。「それ、慰めてんのか、本当に、怒られるぞ」とか思うんだけど、やっぱり芸術家とか作家って感覚違うのかしらん。よくわからんけど大笑いしながら、夜を過ごして元気が出た、などと書いてあった。
それから唐突にデモの話などが出てきて「なんだ?」と思って、その年の日付を確認してみると「昭和44年」だった。1969年か。
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