スキップしてメイン コンテンツに移動

ミサイルとプログレ




コンストラクション・オブ・ライト(紙ジャケット仕様)
キング・クリムゾン
WHDエンタテインメント (2006/07/26)


西の方から東へとミサイルが飛んできて新聞も大騒ぎ。職場(喫茶店)の方にも、昼飯時にブツブツと新聞とその問題について対話している人がいて不気味だった。昔はこういうことが起こるたびに(オウムであったり9.11であったり)「あー、俺んとこにもなんか被害あって全部めちゃくちゃになっちまわないだろうか」とネガティヴ全開の思考をめぐらせていたものだけれど、いつの日か、そんな風に思わなくなり今は「あー、ミサイル落ちなきゃいいなぁ」とか思う。死にたくはないよねぇ。歳を取るごとに生への執着心は強くなっていて、それは成長の証なんかもしれないけど、悟りの道は遠いなぁ。



「めちゃめちゃになってしまえば良いのに」*1とかなんであの頃考えてたんだろうなぁ、とか考えていて、ふと宮台真司の使う言葉が思い浮かんだ。「世界の根源的な無規定性」、「生の無目的性」、「主体の交換が可能である社会」への気付きとそれに伴う鬱…というかね。宮台さんは「キング・クリムゾンの自己破壊的な…」とか「シンフォニック系のプログレの宇宙性が…」とか言いますけれど、それがものすごく分かってしまうのは、その鬱だった頃にプログレばっかり聴いていたからであって、それはちょっとイタい経歴である。でもその頃は「変拍子で世界が変える!」とか本気で思ってたんだから(仮想敵はメロコア/パンクスね)。




懐かしくなってキング・クリムゾンを聴きなおしたりしていた。っていうか棚調べていたら買ったけど一回も聴いていないCDとか出てきてビックリしちゃったよ。2000年発表の『The ConstruKction Of Light』。ビル・ブラフォード、トニー・レヴィンがいなくなったアルバム。「80年代以降のクリムゾンはクソ!」とか思っていたんだけれど、ニューウェーヴ再評価以降の耳を以って聴くと良いアルバムが多くてビックリする。このアルバムには一曲もキャッチーな「アルバムの代表曲」が入ってないから印象薄いんだけれど、この前の『Thrak』とか最高です。ギター、ベース、ドラムが二人ずついる『ダブルトリオ』っていう触れ込みで、二本のベースの絡みがパキパキのポリリズム・ファンクでかつ変拍子ですごいんだからもう。このアルバムだとのダブル・トリオを解消しちゃって、そこまでカッコ良くない。けどブライアン・イーノ絡みのニューウェーヴ臭さが抜けて70年代の泥臭さが立ち上がってる感じ。それはそれで良い。


聴いているうちに、付き合ってた女の子のこととか、6年ぐらい前の2ちゃんロック板の雰囲気とか思い出しちゃって、なんだか赤面。こういう「聴けば思い出が蘇ってくる音楽」とかさ、たくさん作っとくと面白いんだけれど、私にとってプログレは全て「ちょっと塞いでおきたい暗黒面」です。好きなんだけど。「はてなTシャツ欲しい!」もらえるものは全部欲しい!



*1:こういうのをセカイ系って言うんですか?




コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...