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ケント・ナガノ指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団:ブルックナー《交響曲第7番》:ブルックナーの豊穣を最新録音で




Symphony No. 7 in E Major
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Kent Nagano
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たまにタワーレコードのクラシック・コーナーなどにいきますと試聴コーナーに並んでいるのは、過去の名匠の化石のような発掘音源ばかりでうんざりしてしまう……というぼやきは当ブログで繰り返されてきたことですが、たまには「おお、これは買っておこう」という出会いがあるわけで何様かわからねども「ふむ、まだまだレコード店も捨てたものではないではないか」などと思うわけでございます。ケント・ナガノ/バイエルン国立歌劇場管によるブルックナーの《交響曲第7番》もそんな一枚。日本のクラシック音楽ファン、あるいはクラシック音楽批評の世界は日本人の次に日系人びいきなところがあるでしょう(もちろんその強烈なアンチもいるわけですが)。ケント・ナガノもまた日系の音楽家なわけですが、そうした《下駄》を抜きにしても現代音楽のレパートリーなどで高い評価を受ける演奏家です。ビジュアルは斎藤環先生と同系列の「老犬」系。今年還暦なんですねえ……。もっと若い人なのかと思っていた。





現代音楽を得意とする指揮者によるブルックナーといえば、ミヒャエル・ギーレンによる怪演(澄み切りすぎていて、設定テンポよりも遅いのではないか)が思い出されるのですが、ケント・ナガノのブルックナーは柔らかく、ふくよかで濁りのないロマンティックな解釈です。ブルックナーの野蛮さ/神聖さのアンビヴァレンツに引き裂かれない中庸な音楽。わかりやすいものを求めるのあれば、野蛮か神聖かのどちらかの項へと引き裂かれてしまえば話がはやい。しかし、この演奏ではそうではない。暴力的な音響や崇高さを錯覚させる威光はここには見られません。細部のニュアンスや色づけがとても丁寧で、ひとつひとつその瞬間に展開されようとしている音楽に光を当てるような演奏です。これはちょっと素晴らしいのではないでしょうか。比較的ゆったりとしたテンポは、ロマンティックな雰囲気へと傾いていくためではなく、必要な時間が必要なだけとられている。この清潔なバランスも好ましく思われました。





そして、これなんとライヴ録音なんですねえ……! 録音は2010年、ゲント(ベルギー)のカテドラルと表記されていますが「St.-Bavo-Kathedrale 」のことなのでしょうか。ものすごく長い残響は教会ならでは、といったところですが、スタジオ録音にはない自然な空気感(とはいえ、もちろん何本もマイクを立てて各楽器のバランスは現実の聴こえ方とは違った調整されているわけですけれども)が素晴らしいです。とくに弦楽器のたちあがりの美しさは(これは大変フェティッシュな聴き方だと思いますが)絶品です。いやあ、このライヴを聴けた人は幸せモノでしょう。このコンビの演奏を今年の夏の来日時に聴けた人がうらやましいですね。






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(映像は同時期におそらくかなり法的に問題ある方法で撮影されたモノ。モスクワでのライヴだそうです)





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