アポロドーロスは紀元1世紀とか2世紀にいたという著述家で、この『ギリシア神話(Bibliotheke)』は彼が収集したギリシア神話をまとめたものだそう。なんでも現代に広く伝わっているギリシア神話とはヘレニズム文化の影響で、マイルドになってしまったそうで(これは井筒俊彦の『神秘哲学』*1でも指摘されていたかと思います)すが、アポロドーロスの本はヘレニズム以前のワイルドなギリシア神話が収められているのだそうです。彼が生きた時代はローマ時代の全盛期。にも関わらず、ここにはローマの文化も見当たらない。それは著者がこの本を正真正銘のギリシア文学を後世に伝える参考書となるように書いたからだ、と言います。ホメロスやヘシオドスへの言及もあり、単なる読み物というよりかは「ギリシア神話研究書」に近いのかもしれません。ページをめくっていくと目につくのは、ギリシアの神々の交接、強姦、殺戮、不倫、戦争、虐待ばかりが描かれており、ギリシア文化がヘレニズムと出会わなければ教育委員会が眉をしかめる結果となったことは火をみるより明らかでしょう。美しい女に出会えば、それが人妻だろうとなんだろうと犯して孕ませてしまう神々の性格はとてもではないがちょっと理解の範疇外にあるようにも思われ、古代ギリシア人はこのような暴力的な神話を語り伝えることで何を感じていたのか。神々の考えること、英雄の考えることは凡夫には計り知れないことでしょう。ほとんど狂気の沙汰の連続のなかから感じるのは、こうした神話が芸術的なインスピレーションの源泉なのだとしたら、やはり芸術家のセンスは霊的なもの、理性では理解することのできないものを受容してしまうのではないか、ということ。
テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...
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