スキップしてメイン コンテンツに移動

野口晴哉 『整体入門』:独自の生命論にもとづく身体の解説が面白い




整体入門 (ちくま文庫)
野口 晴哉
筑摩書房
売り上げランキング: 8634



肩こりなどはシステムエンジニアの職業病というよりもオフィスに勤める人全般を悩ませる現代病、と言えましょう。私も極度の肩こり持ちなもので先日ついに近所の整体にいってみてみました、ものは試しに、と。で、これが上手いこと効いちゃったわけで久しぶりに体の軽さを感じる結果となりました。とはいえ、肩こりが永続的に解消されたわけではなく、術後1ヶ月もすれば「あ、いまちょっと疲れが溜まってきたなあ」という感じがしてくる。しかし、術前は肩が常に重かった・痛かったわけなので、この疲れが溜まってくる感じすらも新鮮。様子をみて通ってみようかな、整体すげーな、と思いました。





というわけで野口晴哉の『整体入門』を読んでみる。読んでから知ったのだが、整体にも種類や流派がいろいろあるそうで、私の行っているクリニックとはほとんど野口整体は無関係の模様。ただし「ゆるめて・ほぐす」などの過剰や不足を調整していくというコンセプトは共通しているみたいで、大変興味深く読みました。クラシックの熱狂的ファンで、日本発の天才ヴァイオリニスト養成術、鈴木メソードの考案者とも親交があったという野口晴哉(今年生誕110年)は教養高い人だったようで、文章がとても上手い。古い日本人にあるような格式高い日本語、ではないのですが、良い感じに力の抜けた風流人のごとき風情でちょっと真似したくなりました。





ここ数年、東洋の身体論、武道の身体論に注目が集まっているところで(今はそうでもないかな?)、過去に読んだもののなかでは『FLOW――韓氏意拳の哲学』はとても面白かったんだけれど、この『整体入門』もまたそのような身体論としても読めます。各部位の筋肉(筋力)によって部分を統御していき、その建築的な組み合わせによって身体を考えている、ように思われる西洋の身体理論とは違った考え方として。前述の韓氏意拳という武道においては、そうした身体理論さえも投げ捨てられてしまう、という脱構築武道ですけれども、伊藤整体においては「ねじれ」や「気の過少」といったタームが全体へと繋がって描かれる。椎骨が身体のコア部分となって、全体を統御する、といった感じにまとめられるでしょうか。実践方法の解説を見ながら自分ひとりで試す勇気はありませんが、身体に対するひとつのアプローチを見ることができると思います。





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ...

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

リヒテル――間違いだらけの天才

 スヴャトスラフ・リヒテルは不思議なピアニストだ。初めて彼のピアノを友達の家で聴いたとき、スタインウェイの頑丈なピアノですらもブッ壊してしまうんじゃないかと心配になるぐらい強烈なタッチとメトロノームの数字を間違えてしまったような速いテンポで曲を弾ききってしまう演奏に「荒野を時速150キロメートルで疾走するブルドーザーみたいだな」と率直な感想を持った。そういう暴力的とさえ言える面があるかと思えば、深呼吸するみたいに音と音の間をたっぷりとり、深く瞑想的な世界を作りあげるときもある。そのときのリヒテルの演奏には、ピンと張り詰めた緊張感があり、なんとなくスピーカーの前で正座したくなるような感覚におそわれる。  「荒々しさと静謐さがパラノイアックに共存している」とでも言うんだろうか。彼が弾くブラームスの《インテルメッツォ》も「間奏曲」というには速すぎるテンポで弾いているけれど、雑さが一切ない不思議な演奏。テンポは速いのに緊張感があるせいかとても長く感じられ、時間感覚をねじまげられてしまったみたいに思えてくる。かなり「個性的」な演奏。でも「ああ、こんな風に演奏しても良いのか……」と説得されてしまう。リヒテルの強烈な個性の前に、他のピアニストの印象なんて吹き飛んでしまいそうになる。  気がついたら好きなピアニストの一番にリヒテルあげるようになってしまっていた。個性的な人に惹かれてしまう。こういうのは健康的な趣味だと思うけど、自分でピアノを弾いている人の前で「リヒテル好きなんだよね」というと「あーあ、なるほどね」と妙に納得されるような、変な顔をされることがあるので注意。 スクリャービン&プロコフィエフ posted with amazlet on 06.09.13 リヒテル(スビャトスラフ) スクリャービン プロコフィエフ ユニバーサルクラシック (1994/05/25) 売り上げランキング: 5,192 Amazon.co.jp で詳細を見る  リヒテルという人は、ピアニストとしてだけ語るには勿体無いぐらいおかしな逸話にまみれている。ピアノ演奏もさることながら、人間としても「分裂的」っていうか、ほとんど病気みたいな人なのだ(それが天才の証なのかもしれないけれど)。「ピアノを弾くとき以外はロブスターの模型をかたときも手放さない」だとか「飛行機が嫌いすぎて、ロシア全...